01
特殊性が高く、システム理解に苦戦
- T.N.
- この開発は5年半をかけた長期のプロジェクトでした。まずは前システムを分析し、機能が業務に合っているか、ユーザーにとって使いやすいかなど、カスタマイズが必要な項目の洗い出し「フィット(適合)&ギャップ(乖離)」からスタート。私たちはギャップが多かったサブシステムのカスタマイズを任されましたが、放送局という特殊な業界のため、まずはシステムを理解するのに苦労しました。そこで、母体システムの方はすでに開発段階に入っていたので、エンジニアの誰かを母体システムの開発に行かせて知識を持ち帰ってもらおうということになったんです。そこで白羽の矢が立ったのがこちらのN.H.です。
- N.H.
- 当時私は運用業務を担当していましたが、ずっと開発に行きたい気持ちがありました。上司にもそれは伝えていて。だから、この話が来た時はとても嬉しかったですね。開発現場は東京でしたが、二つ返事で引き受けました。
02
母体システム開発で得た知識を発揮
- N.H.
- 東京での開発は、はじめこそ大変でしたが周りの助けのおかげもあり慣れるのは早かったですね。1年後にこちらに帰る時には盛大な送別会を開いてもらえてとても嬉しかったです。何より、本プロジェクトに知識を持ち帰るという任務を果たせて胸をなでおろす思いでした。
そしてようやく本プロジェクトに合流してシステムを見てみると、母体とのギャップが大きく、DB構造から見直す必要があり、これは大変なことになったと思いましたね。データ移行の際も、DB構造が全く異なるためどのように移行すればよいか頭を悩ませました。移行とテスト、トライ・アンド・エラーはかなり行ったと思います。
- T.N.
- 実際、N.H.には苦労をかけました。母体システムに関して知識がないメンバーたちのためにシステム概要の簡略化やルールの策定、メンバー全員が理解できるまで何度も勉強会を開催してくれたおかげで、苦労はしたものの大きなアクシデントもなく順調に開発を進めることができて本当に助かりました。
03
スムーズな結合にメンバー全員で安堵
- T.N.
- このプロジェクトの難しいポイントの一つに、東京との「遠隔地分散開発」という点がありました。片方が成功してもシステムは稼働しませんから、東京のメンバーとこまめにWeb会議を実施し、意思疎通を図るようにしていました。また、N.H.が関西と東京でプログラムが被らないようにルールを設けたり、どちらがシステムを触ったのか分かるようにしたりと色々工夫してくれたことで、分散開発による混乱は起こりませんでした。それでも、いよいよ結合するという時は緊張しましたね。大きな問題もなくスムーズに結合できたのには感動しました。
- N.H.
- システムがはじめて稼働した時もすごく嬉しかったです。業務の性質上、部分的にテストを行うのが難しいこともあって、最後の最後まで調整していましたから。達成感よりも安堵の方が大きかったですね。このプロジェクトが社長賞を受賞し、社長とメンバーで会食していた時にようやく喜びに浸ることができました。
04
難易度の高いプロジェクトが自信に
- T.N.
- 本プロジェクトは、特殊性が高いことや遠隔地分散開発であること、テストがなかなか行えないなど困難な点がたくさんあるなかで、メンバーたちは本当によくやってくれました。N.H.にはぜひこの経験を後輩たちに伝えていってほしいと思っています。
- N.H.
- T.N.さんは、私たちメンバーを信頼して任せてくれる人なのでとてもやりやすかったです。以前は自分の仕事を完璧にこなすことだけを考えていましたが、本プロジェクトに参画してからは全体の調和や優先順位の取捨選択を常に考えながら仕事をするようになりました。ゆくゆくはT.N.さんのようなプロジェクトリーダーになることを目標にしながら、エンジニアとして今後も成長していきたいと思っています。